お寺で一番の人気者
2025年 10月 20日お寺で一番の人気者
本堂に入ってすぐ左側にご安置しています。
ご覧の通り、白い大理石でできたお釈迦さまです。右手は施無畏、左手は与願の印相を示していらっしゃいます。
大理石ですから、手で触れていただくことができます。本堂でご法事のあるときは必ず、で触れていただくことをお勧めしています。
おじいちゃん、おばあちゃんの一番人気です。それをみて、お孫さまもそれを真似てくださいます。お父さま、お母さま、ご兄弟のお方も皆、笑顔になります。
本堂に入ってすぐって、なんだか賓頭盧尊者のようです。
ではなぜ、賓頭盧尊者は、撫でほとけとなられたのか、後日考えてみます。
お写真を撫でていただいても功徳があります。拡大すればより効果があります。
「星」という漢字をめぐって 星供の準備
2025年 10月 11日お塔婆を書いていて、「星」という漢字とあらためて出会いました。お戒名にではなく、お施主さまの苗字にありました。「日」の下に「生」がある。なんだかロマンチックで、元気が出そうです。
まず、白川静(1910-2006)『字通』平凡社1996を引いてみます。「セイ」p.902頁です。そこには、形声として
形声 音符は生(せい)。正字は晶に従い、曐に作り、晶は星光の象。〔説文〕七上に「萬物の精、上りて列星と爲る」という。參(参。しん)は簪(かんざし。冠をとめるために髪に挿すかんざし)の形で、その初形は晶の形を含み、玉光を示す字で簪の玉光を示す形であった。
とあります。次の古訓は割愛して、音系と語系には
音系 〔説文〕に星声として腥・猩、〔説文新附〕十四下に醒を収めるが、惺は未収。星声はむしろ靑(青)声の字と声義の関係があるようである。
語系 星と晶は声義近く、〔説文〕七上に「晶は精光なり」とする。「星」の初文(= 当初の形で、偏や旁が加わる前の形。コトバンク)は晶に従う字であった。參ももと簪(= 冠をとめるために髪に挿すかんざし)の玉光を示す字である。睛(晴)・精(精)も声義に関係のある字で、星は「萬物の精」、夝(せい。星が光る、夜晴れる意)七上は「雨ふりて夜除れ、星見(あら)はるるなり」とあり、睛の初文である。
とあります。これもむつかしいです。次に、小川環樹(1910-1993)他『新字源』角川書店1975を引いてみました。なりたち を引用します
星(曐) なりたち もと、晶(ほしの形にかたどる。日は省略形)と音符生(せい。すむ意→清)とから成り、空に澄みかがやく「ほし」の意を表わす。形声字の音符になると、あきらかにする(惺・醒)など、なまぐさい(腥)などの意味を示す。
白川静『字通』の理解とは必ずしも一致していないようです。
分かったのは、「星」の「生」は読み方「せい」を示し、「日」はもともとは「晶」(ほしの形にかたどる)で、星光、空に澄みかがやく「ほし」(天体)を意味するということです。ただし、「晶は精光なり」、「萬物の精、上りて列星と爲る」の「精」の意味(おそらくは、精光で、かがやくの意)それが「清」(きよい)とどのように関係するか、そして「萬物の精」とは何を意味するのかということは疑問として残りました。ただ、「萬物の精、上りて列星と爲る」とは、とてもロマンチックな表現で、元気が出そうです。私もこの大地の上ですみ輝き生きて、後には天空の光、星となりたいと願います。
そろそろ、星供の準備が始まめます。
月にまつわるお話
2025年 09月 15日僧侶としての行住坐臥の威儀、礼儀作法
2025年 09月 11日本日から、僧侶研修のお二人に、袈裟(如法衣)の着用が許されました。ここで、僧侶としての行住坐臥の威儀、礼儀作法について、私も、お手本になるよう、あらためて学ぶ必要がありようです。
基本の姿勢 姿勢を正しくするには「胴造(どうづくり)」といって背脊腰部(せなこし)を曲げず五体の中心を正しくすることを基本とする。上体は常に背筋を伸ばし、前後左右の揺らさず(、傾けず)、顎は引いて正面を向く。
起立の姿勢 両足の踵(かかと。踵、きびす)をつけ、足先きは約12、13㎝ぐらい開き、重心は均等に両足にかける。視線は正面(前方、約三十尺~十メートルのところ)を注視する。
正座の姿勢 畳縁より約15㎝内側にへだて、両膝、その間は10~15㎝ほど開けて、上身をまっすぐに正面して坐する。
合掌の姿勢 基本の合掌は虚心合掌(、または金剛合掌)である。胸前でやや斜めに、指頭は咽喉の中央と水平に。頭を垂れるときは指先も垂れ、頭の直なるにしたがって、指先も元に復する。両肘は張らずに、自然に垂れる。
礼拝・挨拶の姿勢動作
揖礼(ゆうれい) 起立、正座にかかわらず、合掌し、いささか低頭して会釈する、最も略式の礼法である。揖には、会釈するという意味がある。へりくだるという意味もある、とのことです。
歩行 直行 直立の姿勢より右足(左足との記述もあり)から踏み出し、一間(約二メートル)を約五歩の歩みで進む。内陣では、一間を七単歩位で徐々に行くこと。幾人かで歩行するときは、前を歩む人との速度と間隔をそろえること。
以上は、寺内書架より、威儀作法テキスト 本山修験宗本庁、総本山聖護院門跡、1996等を参照しました。このような動作に気を付けていると、自然と体調がととのい、心も安定していきます。
これ以外にも、僧侶の威儀として注意すべきことがたくさんあります。浅井證善『初心の修行者の戒律――訳註『教誡律儀』――』高野山出版社、2011からです。( )内には、頁数と条数を記しておきました。
話すときは、常に柔らかいことばで語るべし。(25-7)
人の話がまだ終わっていないのに、ものを言ってはならない。(25-8)
人の前では常に気を配り、やかましく笑ってはならない。(26-18)
部屋の扉の開け閉めは、外、あるいは内に人がいないかに注意して、音をたてたりせず、ゆっくりとした動作で行う。(Cf. 26-21, 27-33)
歩くときは手をぶらぶらと垂れてはならない。(36-7)
歩くときは左右をきょろきょろと見てはならない。(36-8)
歩くときは地の先、七尺ばかりを長く直視して、虫蟻を踏まないようにせよ。(36-9)
きわめて一般常識です。
寺内では、とりとめもないつまらぬ事を言わないこと(28-43)
人の前ではかゆいところを掻いてはならない。(28-44)
もしあくび(や、くしゃみ)をしたくなったら、手で口を遮るべし。(28-45)
廊下を歩く時、その真中を進んではならない。(37-24)
歩く時、(左右いずれかの)一辺に沿うべきである。(37-25)
廊下、道を歩くとき、声高に語笑してはならない。(37-26)
などなどです。これも一般常識の範囲でしょうか。
最後にひとつ。いまは(失念して)出典を明示することできませんが、お釈迦さまが後ろを振り向かれるとき、首を肩と一緒にというか、腰から上半身をまわして、後ろを振り向かれたといいます。とても威厳のある所作です。私などは、声をかけられると、ほいほい軽々しく「はい、なんですか~」などといって、振り返ってしまいます。僧侶も威儀、礼儀作法が基本です。そのうえでの修行です。








